ヒトリカイギ。

整理整頓。

生まれ変わる。

2年半前に指導者資格を取り、その練習が生活の一部となった「アナトミック骨盤ヨガ®」。
(いわゆるこれが、私の「トレーニング」である。)

昨日は、本家の先生が福岡に来られてのワークショップ(2時間のレッスン)だった。
先生のリードは本当にキツいので(笑)、申し込んでからの2か月、私は本気で練習した。

「本気の練習」にもいろいろとあると思うが、「正しいフォームで」「より長い時間キープする」というのが今回の「本気」の置き場だったと思う。

何でもそうだけど、「キツさ」とは、体力的なキツさの向こうに、精神論が求められる。
ヨガなんかは、ヨガマット1枚の上で単独で行うものなので、「あーキツい」「あー嫌だな」と思った時に、もう1秒、もう1カウント、もう1呼吸頑張るかやめてしまうかは自分次第で、辞めてしまったって誰にも迷惑はかからないし、誰も不快な気持ちにならない、誰にも文句は言われないし、誰にも叱られないし、誰にも「もっと頑張れ」とも言われない。
そもそも私がやっていることは、自分ではよく分からないが、他の人から見れば「十分にすごい」らしい(←ジム友さん曰く)。
 
 
私はこのワークショップに参加を申し込んだ当初、自分に自信がなく、実はその数日後に、事務局に連絡して参加をキャンセルした。
キャンセルの言い訳も「予定が入ってしまった」と嘘をついた。
心の中で沢山の言い訳をした。
「別に人と比べることじゃないし」「自分のペースがあるし」「ワークショップに行かなかったからって何か大きく変わるわけじゃないし、また次回があるし」「東京の人たちのレベルと比べられてもな」「他のメンバーよりヨガキャリア短いし」「先生に気にいられたいワケでもないし」。

けど、そんな言い訳をして、本当は「負ける」ことから逃げていることも実は気が付いているわけで、キャンセルした2日後、まだ返金手続きがされていないギリギリの段階で、事務局にお願いしてキャンセルをキャンセルしてもらった(結局参加することにした)。
それも「都合がつきましたので」という理由で。

でも、いずれにしても参加することにしたのだから、「指導者資格を持っている以上は、きちんとアーサナが取れなけれは恥ずかしい。自分もカッコ悪いし、いい加減なことをして先生の顔やこのヨガの名前を汚すワケにはいかん!!」とそれ以来、本気で練習した。
多分、これまでで一番本気で練習したと思う。
一番苦手だったアーサナは、完成系は諦めて、そのベースとなるものをひたすら練習した。
鏡を見て、少しアライメントを修正しただけで、急にきつくなるアーサナ。キープできる時間が激減した。
本気で焦った。
けど、いい加減なアーサナで長くキープできたって、それは「出来た風」なだけで、私は「出来た風」で褒めてもらったって嬉しくないし、それは「言っていることとやっていることが違う奴」と同じだと思っている。
私はそういう人にはなりたくない。

私は、会員登録しているジムの鏡の前で、マット1枚分をお借りして練習する。
鏡を見ないと、正しく出来ているか確認できないからだ。
「自分では出来ているつもり」でも、「実際には出来ていない」、そんなことが沢山ある。
自分が「出来た」と思うことと、実際に「出来ている」ことが一致しているか確認するには、鏡の前でやるのが一番だと思う。
(ジム会員に登録しているが、マシーンも使わない、レッスンにもほとんど入らない。とにかく自分のヨガの練習がしたいというだけ。)

練習は正直キツい。
でも、出来ない奴は練習するしかないのだ。
確かに、ただただやることが練習だとは思っていない。
フォームについてはイメージトレーニングはいくらだってできるし、正直、イメージトレーニングは得意で、それを再現して見せるのも決して苦手ではない。
けど、ほんの少しの「正しさからのズレ」を確認するためには鏡の前に立つしかないし、元々キツめなアーサナの先に自分の限界を探りしかもキープを1秒でも長くするには、超地味なアーサナを、「あの人ずっとアレばっかりやってる」とか「ジムに来てもマシンもレッスンも利用しないのね」とか思われながら、髪はボサボサ、汗でマスカラは落ちまくり眉毛は完全に消えてなくなり、息が切れまくって歯を喰いしばる、小鹿みたいに腕や脚がプルプルする、そんなカッコ悪い自分を、人前で晒して練習するしかないのだ。

その中で、「負けたくない相手は自分自身か?それとも当日会場で一緒に頑張るメンバーか?」とずっと自問自答した。
結果的に出せた答えは「どっちにも負けたくないんだ私は!!!!!」だった。
 
誰よりも強く、誰よりも美しい、誰よりもブレないアーサナと自分でありたいと思った。
 
 
2カ月間ずっと、「あー、私、当日恥をかくんだろうな」「あー、私、当日キツくて死にそうになるんだろうな」「あー、当日5分で心が折れるんだろうな」「手ぇ抜きたくなるんだろうな」と思ったし、そういう自分を想像したし、でもそうなりたくないとも思った。
 
「諦め」には2種類あると思う。
最初から努力する気のない奴と、出来ることは出来る限りした上でそれでもやってみて足りなかったらそれが今の実力だと受け止める奴。
私は後者でありたかったから、できるだけのことはやりたかった。
かと言って怪我をすると意味がないので、そのギリギリを探った感じだったと思う。
身体のメンテナンスもやった(これがまた、施術現場で生かせる)。
マットやウェア、ヨガブロックやベルトなどの道具もきちんと手入れをして、ご飯もできるだけきちんと食べた(このあたりは私にとってはゲン担ぎみたいなもん)。
当日朝は、いつも通りのことをした。
起きてすぐ掃除をして、身支度をして、「さぁ、今日の私にエネルギーを!!!」と思いながらご飯をモリモリ食べた。


会場は、30人だったか、いたと思う。
私は、指導者資格を一緒に取った同期とは少し離れた端っこにマットを置いた。
ジムに行って練習する時も、鏡の前にマットを置いたら心を落ち着かせてから練習に入るので、いつも通り静かに支度をしてスタートを待ちたかった。

「私は誰にも負けない、自分にも負けない、誰よりも正しく、誰よりも美しく、誰よりも強いアーサナを決めるんだ。」
そうでないと、2か月の努力の意味を失う気がした。

実際に動いたのは1時間半くらいだったと思う。
これまでで一番攻め続けて、これまでで一番ブレず、心折れることなくやり抜けた時間だったと思う。
確かにキツかったけど、正直、2カ月間の毎回の練習の方がよっぽどキツかった(笑)。
 
実際に、「私は誰にも負けない、自分にも負けない、誰よりも正しく、誰よりも美しく、誰よりも強いアーサナを決める」が出来ていたかどうかは分からない。
私はそうしたつもりだが、私以外の、先生や一緒に頑張ったメンバーがどう感じたかは分からない。
けど、終わって、心の中でガッツポーズ出た!!笑
何かわからんけど、アーサナを完成させるまでの一つ一つも、アーサナを決めてからのキープも、取り組む心も、これまでで一番良かったという明確な感触があった。
 
そうだ、2カ月間、完成系を諦めてベースのみを練習した、自分が苦手としているアーサナ、昨日ぶっつけ本番で完成系に持って行ったら、めっちゃ出来るようになってた。
一緒に参加して、私より後列にいたメンバーにも「多分、参加者の中で一番綺麗に決まってたよ?」と言われ、ビックリした。
心の中でガッツポーズ出た。笑


人は、いろんなところでいろんなものと関わり、考えて、成長していくんだと思う。
私の場合は、自分の人生を変える術となった一つが、このヨガだったことは間違いないと思う。
運動強度が強いヨガなので、確かに、身体のラインは明らかに変わったと思う。
けれど、ヨガをする中で、沢山考えて、沢山試して、沢山葛藤して、沢山凹んで、沢山頑張ろうと思った、それは私の生活や、家族との向き合い方や、施術現場に沢山沢山生かされた。
このヨガに出会ってよかった、2年半続けて来て良かった、この2か月本気出してよかった・・・と本気で思った。
生まれ変われた気がした。
 
 
2年半前、資格を取りに行った時、どのアーサナも出来なかったのを覚えている。
20歳以降の20年間、ろくな運動をしていなかった自分は、すでにヨガインストラクターとしてキャリアのある同期と比べて、体力的に明らかに差を感じ、2日目以降身体はボロボロ、夜~翌朝は心が完全に折れた状態だったのを今でも覚えている。
屈辱的だった。
それを、今になって他のメンバーに話すと「そんな感じしなかったけどね」と言われる。
そりゃそうだ、資格取得のための数日間、講習会場入る時には頭を切り替え(ある意味諦め)ていただけだ。笑
けど、2年半もあれば、人って変われるんだね、いろいろ出来るようになった。
 
 
出来なかったことが出来るようになる。
自信のなかったことに自信が持てるようになる。
「私は出来る」と、自分を素直に信じることができる。
今日からまた、頑張れる。


=追伸。
ちなみに、そんなキツいアーサナを取りながら何を考えているかというと、最近は何も考えなくなりました。
これにもレベルがあって、フロアに流れる音楽がどんな音楽だということや、他の会員さんのどこからか聞こえる会話の内容がどんなだとかを聴いている、聴いているというより耳にしっかり入って来る、けどそれに対して何の思考も湧かないというレベルと、「何か音楽流れてるな」「誰か話してるな」は分かっても後からその歌詞や話の内容を思い出そうと思っても一切思い出せない+何の思考も湧かないレベルと、周囲の音や気配が一切シャットアウトされる+何の思考も湧かないレベルと、いろいろあります。
いずれにしても、「より正しく、美しく、強いアーサナ」を目指しつつ、どうやらこれらのレベルを自分で切り替えることが出来るようです。
多分、これをヨガの世界では「瞑想」と言うのでしょうね。